光と影

2013年6月21日 映画
華麗なるギャッツビー観た。

74年に制作された映画も観たけど、
http://redeyeyan.diarynote.jp/201201302148003206/

やはりテーマが深すぎるなーと思う。

時代背景も、登場人物の背景も含めて
難しい映画なんだ。

キラキラで盛ってあるからそう言う
映画だと思って、そう言う方面で
楽しむのもありだけど…。

ギャッツビーは原作者スコットの分身
なのかなー。

ギャッツビー≒スコットは時代の光と影を
ものすごく背負った人。個人としての感情
や力量以上に、時代の運命に翻弄されて
しまう系?

光と影は、自分が興味あるテーマでもある。

私自身がたくさん影を見たと思ったから。

とくに若い頃。そんなこと言ったら誰だって

そうだ、と言う次元の話なのに、なぜ自分が

そうだと思うか、今回ギャッツビーの映画を

観たからか分からないけど、分かった気がする。

若い頃に影を見た、と思うのは、それだけ自分

に光が当たってるか、光が(未来がたくさんある

と言う意味で)あふれてるとか、世代と言う意味で

前の人らとは違う価値観を持ってたり、新しい価値を

多かれ少なかれ創造しないといけなかったり、そういう

プレッシャーも含めての、若さと言う影だと思う。

それは本当に多かれ少なかれ(個人差あれど)誰にでも

ある話だし、ギャッツビー≒スコットも基本はそうなんだけど、

ギャッツビー≒スコットは、個人として″持ってる″光と影で

終わらなかったことが、良くも悪くも彼の運だなーと思う。

時代背景の勢いも合わせての人格って言うのが強調されてる

人だから、魅力に感じるし、とても儚いと思う…。

光と影って言う意味で言えば、そう言うキャラクターとしての

登場人物だけじゃなく、20年代って言うか、あの時代の輝き

自体、本当に独自性がある。「光」が「光」として、「影」

が「影」として、同じ時代に別の方向性で輝いてた時代だと

思うし。光って言うのは好景気とか、キラキラなパーティーや

ファッションや…そう言うバブル的な香りそのもので、影って

言うのは禁酒法や、もぐり酒場、ヤミ酒売りのギャング系な人々

が暗躍したような世界のイメージ。どちらもそれぞれ輝いてた。

良い悪いじゃなく。20年代以外でも、アメリカや世界の国や地域

でバブル的な好景気はたくさんあって、20年代と比較されることも

ある。今回のギャッツビーの映画の日本向けの宣伝の文章を読んで

居ても、日本のバブル時代と比較して、日本はついこないだバブル

とその後の失われた時代を経験しているから、この映画に共感しや

すい、みたいなことが書いてあった。私としては、それは半分当たっ

てるけど半分は当たってないと思う。80年代後半の日本のバブルは

光も影もそれぞれ本当に輝いて居たのか?と思えば、うまく言えない

けど、20年代ほど立体的、多面的では無い、と思う。20年代の、古い

社会システムを脱ぎ捨てて、大衆の力で時代を作る、みたいな雰囲気は

その時だけのもので、もう2度と無いからこそ、小説や映画の中でしか

見ることが出来なくて、そのノスタルジーに憧れるんだと思う。

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