黒水仙……。
妖しい、孤高の、香りと言うより薫り、
と言う表現が合いそうな気がする、
どんな花なんでしょうねー。
甘いと言うよりは甘辛でグラマラス
なフインキなんでしょうか(なんて
現代的発想(;一_一))。
この映画は某所で故・淀川長治氏が
超オヌヌメとのことだったんです。
で、観た感想は~
…うーーーーーーーんぬ、
です。
イギリスの(たしか)
尼さん4人が修道院の命により
ヒマラヤの奥地で学校やら病院
やらを運営するために赴任して
来て、その土地が見るからに
妖しく、住んで居る人々もひと
クセふたクセあり、現地の文化
風習もクセがありすぎて、次第
に狂ってしまい…みたいな話です。
まず、暗い。妖しい。それは
想定内だからええとして、
尼さんと言う聖なる存在の人々
があるきっかけで人間の業、み
たいなものが出てきてしまう、
そのロジックでの描き方も
目のつけどころは上手いと思う
し、淀川氏が大絶賛している
映像美って言うか色彩美、
色彩の濃淡のうつくしさ、
光と影の濃淡のうつくしさ、
かなりのレベルだと思う。
ほんでも、この映画には
娯楽性と言うものが
ほとんど無く、ほんとに
商業ベースに乗った(てる)
映画なの?と言う感じ。
芸術性だけの実験的な
映画、なら分かるんやけど。
あと、登場人物が
なんというか″流され感″
にあふれてる人ばっかり
で、はっきり言って
気持ち悪い。一番気持ち
悪いのが、現地の偉い
さんの王子様。ゲイっぽい
キャラなんやけどめっちゃ
女好きでさあ、めっちゃ
自分勝手なんやけど、
自分で自分のこと責任
取らない生き方て言うか
キャラで、そのキャラで
ゲイっぽい外見としゃべり
が悪い方に作用して、ひた
すら気持ち悪い。
尼さんたちでさえも、
自分が何をしたかった
のかよく分からなくなって
行って、最後は国に帰って
しまうんやけど、そこに
至るまでずっと翻弄され
続けていて、翻弄され続ける
のは仕方ないとしても、誰も
自分の意志でなんとかしよう
と試みているようには見えない
し、
山の頂上だかなんかで
解脱するために座禅?
組んで修行している
らしい「聖者」が
象徴的に出てくるん
やけど、けっきょく
この「聖者」みたいに
「無我」の境地になる
しかない、みたいな
セリフもあって・・・
そりゃそうなんやけど、
なんか誰も報われないし
いたたまれないし…
現地にもともと住んでる
(なんで住んでるかは
わたしはうまく読み取れ
なかった、もう一回見れば
分かるかも)
イギリス人の
クセのある
ニヒルな男、
こいつが、
唯一のイギリス人と
言うことで何かと
尼さんたちに頼られ
協力したりして、その
うち尼さんに惚れられ
たり、色々巻き込まれて
行く様子が、一応面白い
ドラマ性ある感じなのかな。
このイギリス人男性根はいい人
なんやけどやっぱり「流され
感」あって、狂った尼さんの
一人にストーカーされるハメ
になり、ストーカー尼に「あの
人(主役のデボラ・カー演じる
尼)が好きなんでしょ?」とか
問い詰められ、「誰も愛して
いない!」と言い捨てる!
そうは言いつつも
このイギリス人男性
デボラ・カーの尼さん
のこと絶対好きだった
と思うー。
尼さん達が本国へ
旅立つ時にこの2人が
「さようなら」と
握手、と言うか手を
握り合う瞬間だけ
凄いドキドキする
(@0@;)なんだ
そのラストシーンだけ
妙にエロいの…。
手を握るだけなのにね。
ちなみに黒水仙は
気持ち悪い、やららゲイっぽい
偉い王子がいつも着けてる
香水の名前として出てきました。
王子もデボラ・カーの尼さん
の事好きなのか、誘惑しようと
したっぽいけど(ほのかにそう
感じた)、振り向いてもらえぬ
腹いせなのか、他の尼さんとか
女性を誘惑して、結局村の少女
A(役名あったけど少女Aって
感じの存在感だった)とぐだぐだ
してたり、
この映画の中で、
誰一人「毅然と」した
人が出てこない。
キャラクターとして
役として「締める」
演技の人が出てこない。
そこが残念かなあ。
聖者は?と言う感じやし、
現地の子供で英語が話せる
子が尼さんたち運営の学校
でアシスタントしてたり
深刻なシーンでも癒し系
としていいフインキ出して
出てくるけど、やっぱり
子役なので「毅然と」
「締める」感じでも無く。
最初だけ出てくる「修道院の
長」の尼さんとか、現地の
「王族」とかをもっと効果的
に出せばよかったのになあ。
わたしがこの映画の副題
付けるとしたら、「運命
に流される人々の話」かなあ。
妖しい、孤高の、香りと言うより薫り、
と言う表現が合いそうな気がする、
どんな花なんでしょうねー。
甘いと言うよりは甘辛でグラマラス
なフインキなんでしょうか(なんて
現代的発想(;一_一))。
この映画は某所で故・淀川長治氏が
超オヌヌメとのことだったんです。
で、観た感想は~
…うーーーーーーーんぬ、
です。
イギリスの(たしか)
尼さん4人が修道院の命により
ヒマラヤの奥地で学校やら病院
やらを運営するために赴任して
来て、その土地が見るからに
妖しく、住んで居る人々もひと
クセふたクセあり、現地の文化
風習もクセがありすぎて、次第
に狂ってしまい…みたいな話です。
まず、暗い。妖しい。それは
想定内だからええとして、
尼さんと言う聖なる存在の人々
があるきっかけで人間の業、み
たいなものが出てきてしまう、
そのロジックでの描き方も
目のつけどころは上手いと思う
し、淀川氏が大絶賛している
映像美って言うか色彩美、
色彩の濃淡のうつくしさ、
光と影の濃淡のうつくしさ、
かなりのレベルだと思う。
ほんでも、この映画には
娯楽性と言うものが
ほとんど無く、ほんとに
商業ベースに乗った(てる)
映画なの?と言う感じ。
芸術性だけの実験的な
映画、なら分かるんやけど。
あと、登場人物が
なんというか″流され感″
にあふれてる人ばっかり
で、はっきり言って
気持ち悪い。一番気持ち
悪いのが、現地の偉い
さんの王子様。ゲイっぽい
キャラなんやけどめっちゃ
女好きでさあ、めっちゃ
自分勝手なんやけど、
自分で自分のこと責任
取らない生き方て言うか
キャラで、そのキャラで
ゲイっぽい外見としゃべり
が悪い方に作用して、ひた
すら気持ち悪い。
尼さんたちでさえも、
自分が何をしたかった
のかよく分からなくなって
行って、最後は国に帰って
しまうんやけど、そこに
至るまでずっと翻弄され
続けていて、翻弄され続ける
のは仕方ないとしても、誰も
自分の意志でなんとかしよう
と試みているようには見えない
し、
山の頂上だかなんかで
解脱するために座禅?
組んで修行している
らしい「聖者」が
象徴的に出てくるん
やけど、けっきょく
この「聖者」みたいに
「無我」の境地になる
しかない、みたいな
セリフもあって・・・
そりゃそうなんやけど、
なんか誰も報われないし
いたたまれないし…
現地にもともと住んでる
(なんで住んでるかは
わたしはうまく読み取れ
なかった、もう一回見れば
分かるかも)
イギリス人の
クセのある
ニヒルな男、
こいつが、
唯一のイギリス人と
言うことで何かと
尼さんたちに頼られ
協力したりして、その
うち尼さんに惚れられ
たり、色々巻き込まれて
行く様子が、一応面白い
ドラマ性ある感じなのかな。
このイギリス人男性根はいい人
なんやけどやっぱり「流され
感」あって、狂った尼さんの
一人にストーカーされるハメ
になり、ストーカー尼に「あの
人(主役のデボラ・カー演じる
尼)が好きなんでしょ?」とか
問い詰められ、「誰も愛して
いない!」と言い捨てる!
そうは言いつつも
このイギリス人男性
デボラ・カーの尼さん
のこと絶対好きだった
と思うー。
尼さん達が本国へ
旅立つ時にこの2人が
「さようなら」と
握手、と言うか手を
握り合う瞬間だけ
凄いドキドキする
(@0@;)なんだ
そのラストシーンだけ
妙にエロいの…。
手を握るだけなのにね。
ちなみに黒水仙は
気持ち悪い、やららゲイっぽい
偉い王子がいつも着けてる
香水の名前として出てきました。
王子もデボラ・カーの尼さん
の事好きなのか、誘惑しようと
したっぽいけど(ほのかにそう
感じた)、振り向いてもらえぬ
腹いせなのか、他の尼さんとか
女性を誘惑して、結局村の少女
A(役名あったけど少女Aって
感じの存在感だった)とぐだぐだ
してたり、
この映画の中で、
誰一人「毅然と」した
人が出てこない。
キャラクターとして
役として「締める」
演技の人が出てこない。
そこが残念かなあ。
聖者は?と言う感じやし、
現地の子供で英語が話せる
子が尼さんたち運営の学校
でアシスタントしてたり
深刻なシーンでも癒し系
としていいフインキ出して
出てくるけど、やっぱり
子役なので「毅然と」
「締める」感じでも無く。
最初だけ出てくる「修道院の
長」の尼さんとか、現地の
「王族」とかをもっと効果的
に出せばよかったのになあ。
わたしがこの映画の副題
付けるとしたら、「運命
に流される人々の話」かなあ。
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