祇園祭2011ハイライトの
宵山と山鉾巡行終わりました。
土曜、日曜なだけあって凄い人でした。
あれだけのデカい規模の祭をするのは
凄いパワーやなあと思い、今更ながら
毎年感銘を受けます。元々は疫病や
天災の厄を祓う祭で、一時期は全国
66の国、と言うことにちなみ66
基の山や鉾が奉られた時期もあった
とのこと、日本全体がしんどい今
だからこそ、八坂神社の神様の偉大
な神通力?に期待しつつ…。
私が子供の頃と比べると、ずいぶん
観光地的な、商業的な祭になった
ように感じます。祭の運営や山鉾
の維持にはお金がかかるし、京都
自体観光産業で経済が回ってる
様な面もたしかにあると思うので
良いことだと思う。
それでも、本来祇園祭は
疫病退散!と言うことを
発祥として、町衆と言うか
町の人々が自分らの町(
ひとつひとつの路地ごと
の単位の、小さな町)
を誇り、自分たちの
技術を誇る、素朴な祭
だったと思います。
なぜ今回そういうことを
思ったかと言うと、今年
は祇園祭のイベントに
出かける日はカメラを
持ち歩いてたくさん
写真を撮りました。
撮っていく中で、
わたしが撮りたい
と言うか興味がある
シーンは、鉾を組み立
てる様子、巡行の際
屋根の上で電線などが
運行に差支えないよう
にする屋根方さんの
様子、曳き手に号令
を掛けてまとめる
音頭取りの人の様子、
など、あのうつくしい
鉾や巡行がどうやって
運営されているか、
と言う点でした。
その興味のきっかけ
になったのは、子供
の頃に祇園祭のイベント
によく連れて
行ってくれた
伯母(母の姉)が、
そういう裏方的な
人々がどういうこと
をしているか、と
言う裏話が大好きで、
その時はふーーーん
と思って聞いてた
のに、それが
いつのまにか自分
の興味のルーツ
になっていたと
思います。
鉾の組立ひとつ
取っても、釘を
使わずに縄だけ
組み立てる、とか
普段は大工を
してる職人さん
たちの腕の見せ所、
だと思うし、
たとえばお囃子
の人たちは、
子供の頃に
参加しはじめて
鉦(かね)を習得、
その次が笛で、
長になるとバンマス
的な太鼓担当になる
(らしい)とか、
一年一年が一人一人の
技術の習得と成果の
発表の機会であり、
同時に後輩や次の
世代への技術や
ノウハウの継承
の機会である、
と思うように
なりました。
祇園祭は、
実行委員会や保存会の
エラい人たちの私的な
自己実現の場でも無いし、
行政の首長の政治の
ツールでも無いし、
ハコモノで儲けたい
事業家のものでも無い、
運営する裏方の人々
が毎年少しずつでも
成長出来るよう
な、かと言って生計を
立てる為の仕事とは
別で自分を向上
させる為の
、「毎年の晴れの舞台」
であってほしいと思います。
このご時世そういうこと
ばっかりも言ってられないし
ハコモノとしての器(いろいろ
な意味で)も大事だと思うけど、
地味で素朴な部分も大事にして
欲しい、伯母のようにそういう
面を愛して親しみを持っている
地元の人らもたくさん居る
と思う。
その意味では、今検討されて
いると言う巡行を2つの
日程に分けると言う本来の
体制に戻すことは、商業化・
観光化に傾き過ぎた軸足
を少し本来の方向性に
戻すことにはなると思うし、
良いと思います。
ただ昔の形式がなにがなんで
も良いとは思わないけど、
バランスを取りながら進化
して欲しいと思います。
宵山と山鉾巡行終わりました。
土曜、日曜なだけあって凄い人でした。
あれだけのデカい規模の祭をするのは
凄いパワーやなあと思い、今更ながら
毎年感銘を受けます。元々は疫病や
天災の厄を祓う祭で、一時期は全国
66の国、と言うことにちなみ66
基の山や鉾が奉られた時期もあった
とのこと、日本全体がしんどい今
だからこそ、八坂神社の神様の偉大
な神通力?に期待しつつ…。
私が子供の頃と比べると、ずいぶん
観光地的な、商業的な祭になった
ように感じます。祭の運営や山鉾
の維持にはお金がかかるし、京都
自体観光産業で経済が回ってる
様な面もたしかにあると思うので
良いことだと思う。
それでも、本来祇園祭は
疫病退散!と言うことを
発祥として、町衆と言うか
町の人々が自分らの町(
ひとつひとつの路地ごと
の単位の、小さな町)
を誇り、自分たちの
技術を誇る、素朴な祭
だったと思います。
なぜ今回そういうことを
思ったかと言うと、今年
は祇園祭のイベントに
出かける日はカメラを
持ち歩いてたくさん
写真を撮りました。
撮っていく中で、
わたしが撮りたい
と言うか興味がある
シーンは、鉾を組み立
てる様子、巡行の際
屋根の上で電線などが
運行に差支えないよう
にする屋根方さんの
様子、曳き手に号令
を掛けてまとめる
音頭取りの人の様子、
など、あのうつくしい
鉾や巡行がどうやって
運営されているか、
と言う点でした。
その興味のきっかけ
になったのは、子供
の頃に祇園祭のイベント
によく連れて
行ってくれた
伯母(母の姉)が、
そういう裏方的な
人々がどういうこと
をしているか、と
言う裏話が大好きで、
その時はふーーーん
と思って聞いてた
のに、それが
いつのまにか自分
の興味のルーツ
になっていたと
思います。
鉾の組立ひとつ
取っても、釘を
使わずに縄だけ
組み立てる、とか
普段は大工を
してる職人さん
たちの腕の見せ所、
だと思うし、
たとえばお囃子
の人たちは、
子供の頃に
参加しはじめて
鉦(かね)を習得、
その次が笛で、
長になるとバンマス
的な太鼓担当になる
(らしい)とか、
一年一年が一人一人の
技術の習得と成果の
発表の機会であり、
同時に後輩や次の
世代への技術や
ノウハウの継承
の機会である、
と思うように
なりました。
祇園祭は、
実行委員会や保存会の
エラい人たちの私的な
自己実現の場でも無いし、
行政の首長の政治の
ツールでも無いし、
ハコモノで儲けたい
事業家のものでも無い、
運営する裏方の人々
が毎年少しずつでも
成長出来るよう
な、かと言って生計を
立てる為の仕事とは
別で自分を向上
させる為の
、「毎年の晴れの舞台」
であってほしいと思います。
このご時世そういうこと
ばっかりも言ってられないし
ハコモノとしての器(いろいろ
な意味で)も大事だと思うけど、
地味で素朴な部分も大事にして
欲しい、伯母のようにそういう
面を愛して親しみを持っている
地元の人らもたくさん居る
と思う。
その意味では、今検討されて
いると言う巡行を2つの
日程に分けると言う本来の
体制に戻すことは、商業化・
観光化に傾き過ぎた軸足
を少し本来の方向性に
戻すことにはなると思うし、
良いと思います。
ただ昔の形式がなにがなんで
も良いとは思わないけど、
バランスを取りながら進化
して欲しいと思います。
コメント