2010年5月9日 日常 コメント (2)
諏訪大社御柱祭で2人死亡・・・。

ぬ・・・。

毎回人が死んでるイメージもあるけど、

伝統ある凄い祭のイメージもある。

youtubeみたら御柱祭の動画たくさんあった。昔のも。

命がけの祭ってはたから見るとこわっ。だんじりとかも。

でも神事とはそういうものかもしれん。複雑だ。

御柱祭の木落としの映像を見てた。人がたくさん木に乗ったままヒモが切れて?

木が滑り落ちて行くと乗っていた人もぼんぼん落とされて木と一緒に

ガケを落ちて行く。

乗って居た人の中の猛者がコロンコロンガケを滑り落ちながら、

猛スピードで必死で追いかけながらもう一度木に乗ろうとする。

特にに木の先端に乗りたいらしい。それでももう一度落とされる。

また乗ろうとする。

でも一番の猛者に限ってあともう少しで

もう一度木の先端に乗れる、というところで

なぜか足がひっかかったりなんやかんやで再度落とされ、後から

ちょっと遅れてガケを滑って来たような大穴の人物が

ちょっとガケがなだらかになってきて

木の落ちるタイミングがゆっくりになったええタイミングで

木の先端にうまく乗れてゴーーーーーーーーール!みたいな感じのもあった。

ははっ。苦笑。神事を見てたら、文化人類学的にはどうなのかしらんけど、

もう、人の営みそのものって感じ。この世に生まれて生きると言うことが

木にたくさん乗っかってガケを滑るが如く、なのかもなーーーーーー♪っと。

でも危険なのはいやだー。男の命がけはよくわからーん。わたしは女だー。

でも、毎年のように見ている祇園祭も、見た目京都らしくゆったりはんなり

ゆっくりしてるけど、あれも神事。木と縄で作った鉾にたくさんの人が

乗っかってそれをロープでガンガン引っ張ると言うものすごく原始的な

仕組みの祭なのは変わらない。今年も安全に巡航してほしいな。

昔は祇園祭もだんじりのように

スピードを競うと言うか、神様の前に一番先にたどり着くことを

競って居たらしい。でもいつからかしらんけど、競い合うのは

あまりにも危ないと言うことで、長刀鉾だけはいつも

一番と決めて、あとはくじ引きで巡行の順番を決めるようになった

んやとさ・・・(今はもっと細かく色々工夫して順番決めている)。

今ではくじ引きで決めた順番を確認する″くじ改め″

と言う儀式が祭の重要なハイライトになっている。今年は○鉾は何番目

なのかなーと言うのも楽しみの一つで、とある鉾が順番が早い年は

ある分野で縁起が良い、とかの縁起かつぎ?も聞いたことがあるし

伝統ある神事であっても時代が変われば形が変わるし、形が変わった

ことで新しい広がりもあって、そうやって進化していくと思うけど・・・。

・・・なんで危険なことをする祭が安全に執り行われるための

具体的な対策はもっと進化しないんやろう。命を危険にさらす

ことで神様に何かを誓ったり、神様を鎮めたりするんやろうか。

・・・神様関係無いかもしれんけど、生きていること自体が、特別な

ことしなくてもそもそもリスクの連続なのだ。あえて危険にさらす

ことを繰り返すことを神様は本当に望んでいるんやろうか。

リスクに対する対策の無い儀式は、ロシアンルーレットのような

気がしてきた・・・・・・。タマを順番に打っていけばダレかがしぬ、

ってそんなのないよー神様ーっ。




コメント

kaj
2010年5月9日6:48

ひょっとしたらと思うんですが...
発想が逆かもしれません(^_^.)
プリペイドとしての生贄の儀式が変化して、現在の無難な「お祭り」になったとか...沢山の貢物をしたから、もっと寄越せって所でしょうか??

あ、
話は変わりますが「タパス」は、確か小皿盛の前菜みたいなモノなのかなぁ?
酒を頼むと同時に出てくるから作り置きの「お通し」に近いかも。
ただ、結構、種類が多いのと安いので一杯引っ掛けるときには丁度良いんですよね♪

redeye-yan
2010年5月11日22:57

うん、分かるんですよ、分かってるんですよ。くわしくは知らないけど、
いけにえ云々って概念は・・・でも今はもう原始的な社会じゃないのに、
儀式としてえげつないものだけそのまんま残ってるのか・・・て言うのは
神事だから仕方ないとしても、、、見ててなんかねーって言う個人的感情で
しかございません。

つきだし、みたいなもんですかねータパス。

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